漫画原作の作品をアニメ化するにあたって
記事のタイトルを見た瞬間
「あ、こいつ原作厨やんけ」
と思った人には悪いが、自分はむしろアニオタに分類されるタイプである。
小さい頃はたいして漫画本を買わず、夕方になるとテレビの前に張り付いてアニメを見ていたくらいだ。
この記事は「漫画とアニメの差異から”アニメならでは”の良さであったり”アニメらしさ”について考える」ことが目的である。
このようなことを考えた理由の根底にあるのは「この音とまれ!」という作品との出会いである。この作品についてだけで記事1つ書けるがそれはまた別の機会にすることとしよう。とにかく「この音とまれ!」を見ろ!1話だけでいいから
わき道にそれるのはこれくらいにして、漫画とアニメの差異について考えていく。
以下では便宜上、漫画ならではな点を赤文字、アニメならではな点を青文字で表記したいお気持ちで書いた(ちゃんと色分けされているとは言っていない)。
1.視覚情報
漫画はコマごとによる離散時間表現であるのに対し、アニメは映像による連続時間表現が可能である。語るまでもないが、完成された映像の持つ迫力や美しさというのは漫画にはないアニメの長所の1つだろう。しかし、これは諸刃の剣である。完成されきったものならいいが、近年多くみられる作画崩壊などは目も当てられない(と言っても漫画にも誤植や塗り忘れの類はあるが)。
一方で、漫画のコマ割りであったり遡りやすさはアニメより優れていると考えている。見開きページで描かれる迫力シーンやここぞというシーンへの書き込み具合は映像に引けを取らないだろう。つまるところ、視覚情報はどちらにもそれぞれの良さがあるので優劣はつけがたい。
しかし、差別化はできるわけで、映像ならではの表現(例えば川の水のように流れのあるものとか、戦闘ものやスポーツものの視点移動)が活用されている作品はアニメらしい要素を持っていると考えている。
2.聴覚情報
これは漫画とアニメの差別化を図るうえで外せない最も重要な要素だと考えている。この記事を書いた理由の9割くらいはこれに尽きる。マンガが紙媒体であるがゆえに、そこに伴うのは視覚情報に限られる(紙の質感やにおい、本の重量感などもあるので厳密に言い切るのは諸説ありそうだが)。だからこそ、その紙面には研鑽されたあらゆる技巧がちりばめられているわけだが、アニメは違う。映像だけでなくそこには音を伴っている。聴覚情報を駆使できるのだ。アニメで使われる聴覚情報をザックリまとめると次のようなものがある。
・キャラの声
・OP・ED
・BGM・挿入歌
・劇中歌
それぞれ順に見ていこう。
2.1 キャラの声
アニメを見る時は声優で決めるという人もいるだろう。漫画のキャラに命を吹き込むがごとく、キャラ1人1人に声が充てられる。声質がそのままキャラのイメージに反映されることから、声が違うだけでキャラや作品のイメージが大きく変わってくるため非常に重要である。一方で原作ファンからすると声がイメージと違ったということは日常茶飯事だろう。声豚ではない自分が長々語るとボコボコにされそうなのでこれくらいにしておく。
2.2 OP・ED
そのアニメ作品の顔となる部分。主題歌の持つ効果はその1分半ほどの長さに対し大きく、OP,EDともに重要な役割を持っている。
OPはアニメの本筋に入って行く前の導入にあたり、ここでアニメの世界観や雰囲気に心や頭を切り替えるといった効果を持つと考えている。視聴者は直前まで別のアニメや番組を見ていたかもしれないし、他の作業をしていたかもしれない。そんな状態から作品を見る心構えへと切り替えるような役割を果たしている。
録画などで飛ばされがちなEDに関してもしっかりと役割がある。それは余韻だ。特にこれは一気見で軽視されがちな要素だが、アニメリアタイ勢から言わせれば「今週も良かったなぁ」と噛み締められる余韻は重要で、そのためにED~次回予告の尺があると言っても過言ではない。これは持論だがアニメやってる間はOP・EDとCMを除いてツイートとかすべきじゃなくて見ることに集中すべき、全てを見終えて感想が沸き上がってくるのがED、そしてやっとTwitter等にアウトプットするべき。
今期のアニメだと「僕のヒーローアカデミア4期」のOP「ポラリス(BLUE ENCOUNT)」は導入として最高だと感じている。OP映像も合わせて見ると、アニメ本編とのつながりとしてあの子を「守る」という歌詞なのがいい。OPだけで泣ける。
EDでは少し前になるが「文豪ストレイドッグス3期」の「Lily(ラックライフ)」なんかは映像も相まって泣ける仕上がりだった。今期では「炎炎ノ消防隊」の「脳内(Lenny code fiction)」が個人的にはかなり余韻に浸れる。
逆に選曲ミスると最悪で、シリアスな展開もある「ダイヤのA」シリーズのEDで度々ポップな曲が使われて悲しくなっている。今期がまさにそれで泣いてる。
Yougubeでアニソンメドレーなんかをよく聞く身としては、「アニソンメドレーでやたら使われるこの曲が気になってアニメ見ました!」みたいな作品がまぁまぁあるので、作品の顔としての効果も十分あると言える(「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」の「secret base ~君がくれたもの~(本間芽衣子、安城鳴子、鶴見知利子)」なんかは筆頭だろう)。
作品を代表するという意味では、アニメの最終回などによくある「最初期のOPを挿入歌やED曲として用いる手法」は激熱。EDとして余韻に浸る効果を併せ持ち、最終回ならその作品全体を振り返るフェーズが訪れる。
2.3 BGM・挿入歌
OP・EDに目が行きがちだが、BGMや挿入歌(ここではBGMの中でも歌声付きのものを挿入歌としている)の持つ効果も大きい。正直、自分がBGM等を重視するオタクじゃないので語れるものが少ないが、熱いシーンに盛り上がるBGMがあるだけで盛り上がり方が全然違うはずだし、縁の下の力持ち的役割を担うことが多いと勝手に思ってる。
ここで例として触れておきたいのは、「Re:ゼロから始める異世界生活」において伝説の回と言われる18話の「Wishing(水瀬いのり)」である。以下今更ではあるがリゼロの軽いネタバレを含む。18話では、度重なる死に戻りを経てボロボロになり心が擦り切れたスバルが全てを投げ出してレムと逃げることを選択するのだが、レムはスバルの全てを受け入れた上でスバルの考えを否定し真に進むべき道を提示する、涙なしには見られない感動の展開。そのバックで流れるのが、レムの声優「水瀬いのり」による「Wishing」なのだ。心が疲れたらリゼロ18話を見るのをお勧めする。
2.4 劇中歌
この記事で言う劇中歌とは、作品内で(メタ的にではなく)登場している楽曲を指す。キャラが歌ったり、弾いたり等。例を挙げるなら「涼宮ハルヒの憂鬱」の「God knows...(平野綾)」や「けいおん!」の「ふわふわ時間(桜高軽音部)」などである。
音楽を題材としない作品では、劇中歌はなくても成立する。上記3つの聴覚情報とは違い、必須ではない。しかし、それゆえか「アニメならでは」という観点においては劇中歌の持つ効果は大きい。漫画において、音を完璧に伝えることは他の媒体を介さなければ不可能である。しかし、アニメなら音を直接視聴者の耳に届けることができるのである。
音楽に精通していないので音の効果を十分に語ることができないのが心苦しいが、「この音とまれ!」における音は演奏ミスや下手さだけでなく、うまい演奏の音の深さやハリ、やわらかさなどをしっかりと表現しており、単なる視覚情報だけにとどまらず五感を通して視聴者に情報を伝えてくる。それゆえ、この作品の評価が爆上がりしている。アニメだから伝えることができること、それがもろに伝わってくるのが劇中歌なのではないか。
ネタバレになるが、先日の「Dr.STONE」の最終24話における劇中歌は、そもそもの作品が音楽を題材としていないため不意を突かれるような形ではあったが、すでに神アニメだったものが更なる高みへ上るような感覚を覚えた。この作品もなかなかの良作なので見ていない人にはぜひ見てもらいたい。
以上が聴覚情報の4つである。
五感のうちの2つ、視覚と聴覚について触れたが、嗅覚・味覚・触覚はアニメや漫画では使用していないはずなので割愛する。後半の聴覚情報がアニメ固有のため色分けが意味をなさなくなってしまった...
以上をまとめると、アニメらしさは音に起因するように思う。映像もそうだが、漫画をアニメ化する意義の大きなところにあるのはむしろ音であり、キャラが動いたり喋ったりするだけでなく、漫画を読むときの想像だけでは補えない劇中歌であったり作品を代表する主題歌がしっかりしていて初めてその作品は"アニメ作品として"成立するのではないだろうか。