にーくんの思考置き場

日々考えたことを書き記す

ゲーミングPCを買った話

どうも。

 

ブログ書くのめんどくさくなって長らく更新してなかったけど、環境整ったので久々に更新。

 

新生活始まって2ヵ月が経ち、インターネット回線引いたのと給料入ったのを機にデスクトップPCを購入。

購入したデバイス一覧と、PCの初期設定やインストールしたものを忘備録も兼ねてメモしておく。

初期設定とか最初しかしないから何やったか覚えてられないし、数年後PC買い換えたりしたときに色々調べなくていいように記録し得の精神でブログ書くことにした感じ。

 

本当にメモでしかなく、一言コメントみたいなのついてたりもするけど読み物ではないと思う。

 

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ペンタブと行く宇宙人狼【Amon Us】

どうも。 

思考置き場とか言って思考を全然置いてないので、今回思いついたアイデアをシェアする。

この情報を活用できる人は限られそうだけど、いつか誰かしらの何らかの助けになればと思い書き記す。

 

最近流行りか、もはや廃れてきたかは知らないが、Among Usというゲームがある。

https://signal.diamond.jp/mwimgs/c/8/-/img_c88ded7116276955700ab96053208335143528.jpg

リリース自体は2018年だが2020年に大ヒットして今に至るこのゲーム。

PC、スマホ、Switchなど様々な媒体でプレイでき、スマホ基本無料である。かくいう自分もスマホで長らくプレイしてきた。

 

しかし、

2021年5月末、衝撃が走った。

 

Among UsのEpic Games無料で配布されたのだ。


ちなみにこの記事を公開するころには無料配布は終わっている。

 

これを逃す手はないとインストールした。PC版デビューである。

ちなみにPC版のメリットがいくつかあるのだが、本筋からそれるので割愛する。

 

PC版をプレイしてみたのだが、いくつか問題が生じた

 

まず、マウスを所有していないという問題。

前提として自分が所有しているのはノートパソコンであり、それもあってあまりパソコンではゲームをしない。もっぱらYoutubeを見ている。

大抵のことはタッチパッドでどうにかなっていたため、必要性を感じずマウスを所有していないのだ。

しかし、Among Usをプレイする上でマウスは必須に近い

この酸素ルームのフィルター掃除のタスクなどが最たる例だろう。

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枯れ葉を画面左の黒いスペースへとドラッグしていく必要がある。

ちんたらタスクをしていたらインポスターにキルされてしまうため、軽快なマウスカーソル操作が要求される。

 

次に生じた問題は、Among Usのキーバインドが変更できない問題である。

これは2,3分ネットサーフィンして得た結論なので実際は変更できるのかもしれないが、それ以上調べるのもバカらしかったので変更できないという前提でこの先は進める。

まともなキーバインド設定なら変更できなくても構わないのだが、Among Usのキーバインド設定はかなり特殊である。

移動は基本となるWASDないしは十字キーで可能だが、先に述べたようにカーソル操作が必要であることを考えると右手で十字キーの操作はできない。必然的にWASDで移動することになる。

そこで問題になってくるのがマップを開く「TAB」キーである。

正直、キーバインド一覧を見た時は何を言っているのか分からなかった。

普通に考えて、「Ctrl」や「Shift」を差し置いてそこに配置はしないだろう。

押しにくいことこの上ないのである。

マップを開かずともプレイできるゲームではあるが、選択肢は広いに越したことはない。慣れないステージではマップを開けたほうが良いだろう。

 

これらの問題を合理的に解決する方法は普通ならばサイドボタンなどのあるゲーミングマウスであろう。理に適っている。お勧めしたい。

 

しかし、

ゲーミングマウスを買わずとも解決できると閃いたのだ!

(普通の人はたぶんできません)

 

鍵になってくるのが、記事のタイトルにもあるペンタブである。

あまり参考にならないといった趣旨の発言が度々あったのはこの影響である。

これから解説するのは、ゲーミングマウスを所有せずペンタブを所有しAmong UsをPCでプレイしたいという人向けのニッチな内容となっている。

 

長かった前座はここまで、本題に入っていこう。

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にじさんじライバーの推しが決まらないので思考整理

最近見るようになった「にじさんじ」の各ライバーの現時点での印象を書き記す。

※メモ書き、思考整理用

言語化したかっただけ。

「思考置き場」なのでこういう風に使ってもいいよね()

あくまで個人の感想。気分害したらすまん。

 

 気分で書いてるだけなので、見たことなくてもコメントつけてる人もいるし見たことあるけどここに書いてない人もいる。

後日追記とかあるかもしれない(ない可能性の方が高い)

 

  • 空星きらめ(そらほしきらめ)
    結構好きだけど初配信以外見れてない

新人

たぶん

叶、ほんひま、葛葉、やしきず、アッキーナ、エクス、社長、アルス、奈羅花、フレン、ヒム

あたりが特に好きなライバーかな?

書き出してすっきりした感じもあるけど、結局推し決まらねぇんだわ()

自己肯定感を高めるワザップ

深夜のお布団で頭覚醒してる時は自己肯定感が低くなりがち。 かく言う自分も2019年の9月、10月あたりはそうだった。 そこで、自己肯定感を高める方法を書き記しておく。
先に断っておくが、自己肯定感とは非常に主観的な尺度に基づく感情であり、 以下の方法で自己肯定感が上がらなくても一切責任は負わないし個人差もあってしかるべきなので悪しからず。

1.身だしなみ

これは"ガチ"だが、道半ばなので適当に語れる部分だけ書いていく。
俺の通ってる大学が男女比9:1でオタクばっかの"工業大学"だからなのか知らないが、男子の8割くらいの身だしなみがだらしない。かくいう自分も別に整っているとは思っていないし、同類多くて助かるとか思っている。 だらしないと言っても千差万別で、「マジで何もしてないだろこいつ」みたいなのはもうすごい。たぶん服のセンスがカスだから対面からも同じこと思われてそうだけど、自己肯定感高めるためには気にしたら負け。 こういう人たち相手に内心でマウントを取ることで自己肯定感を高める。

身だしなみの中でも、おそらく最も簡単に改善できて自己肯定感が高められるものについて語っていく。 特に夏場、丈の短いズボンとか半袖シャツとか着ると思うんだが、その際に露出される肌がもじゃもじゃの毛で包まれてたらどう思う?俺は悲しくて泣いてしまう。 生えていて得することもないと思うんだけど、悲しいことにうちの大学では夏場に伸び放題のジャングルを見せつけられることが多くて気持ち悪さに涙している。
そこで、ムダ毛処理なのである。毛が薄い人は別にしなくてもいいと思うけど。

方法にこだわりがあるとかではないので簡単に書く。

  1. 風呂に入る際なんかに剃刀を持って行く。
  2. 体を洗って一度流す
  3. 石鹸を泡立てて毛をそりたい部分につける
  4. 剃刀で剃っていく

たったのこれだけ、簡単。次に風呂入るときから始められる。
具体的には、肘から先と膝から下だけやればいいと思う。1日で全て剃ろうと思うとクソ時間かかるから、足と腕は別日にわけていい。
俺は気になるので、腕の途中(半袖着た時出るあたり)から先と下半身を全体的に剃ってる。体育もないし下半身そこまで見せる機会ないんだけど、湯船に浸かってる時自分の太もも見てて悲しくなるので...。

初めて剃ったあとパジャマのズボンを履くと、その感触に驚くことだろう。剃った直後の足のすべすべ感とか、見た目とか、うまく表現できないけどいい感じで浸れる。 これで夏場でも安心して半ズボン履ける。むしろ周りに見せつけて自己顕示欲も満たしていけ。

あと、剃った直後は毛で隠れてた肌が露出してるので、体拭く時にタオルでゴシゴシこすったりしないように。

自分でも露骨に見えるムダ毛の処理として腕や足のムダ毛処理からやるのがいいが、ムダ毛はそれで終わりではない。鼻毛もちゃんと処理すべきだし、眉毛も伸ばし放題だと見た目終わるので手入れすべき(手入れムズいしこれは自己肯定感高めるの厳しめ)。
俺は髭も濃くて夕方にはそこそこ伸びてくるので、たまに時間かけて髭抜いたりもしてる。抜くの気持ちいけど時間溶けるので注意。ツルツルの顎に数年ぶりに再会すると涙出てくる(だいぶ盛った)。

2. 筋トレをする

「お願いマッスル めっちゃモテたい」
という話なんだが、まぁモテるかは置いておいて筋トレで自己顕示欲満たされる。 実際に筋肉付いたかどうかはあんま関係ない。やっているという実感こそ大事。
今まで筋トレしてなかったなら、昨日の自分より今日の自分の方、明日の自分の方がもっとイケてる。きっとそう思えるはず。だらしない食っちゃ寝の生活に罪悪感が1ミリもないなら意味はないかもしれないが、少しでも不安を覚えているなら申し訳程度でいいからするといい。何もしないよりは気休めになるし。
何やっていいか分からなければ、プランクがオススメ。一定の姿勢キープするだけだし。詳細はググれ。筋トレメニュー提示してくれるアプリ入れるとかでもいい。俺は最初それやってた(メニュー少なくて飽きてやめちまったけど)。

筋肉がついたり、体重が落ちたり、そういう目に見える結果があるとそりゃ自己肯定感も上がるんだけど、実際に筋肉付いたかどうかはあんま関係ないと言ったな?怠惰な生活からの脱却という精神面以外にも理由はある。
運動により体を動かしたり疲れることで、眠りにつきやすくなるのだ。これはかなり大事で、自己肯定感が下がるメンヘラタイムを迎える前に脳をシャットダウンできる。
また、ゴロゴロしてるだけで凝り固まった体をほぐすことで、解放感を得ることができる。ほぐすのが目的ならストレッチだけでもいい。ゴリゴリの肩とかほぐすと最高に気持ちよくてだいたいのことはどうでもよくなる。

ちなみに、普通に運動をするのもありだが、チームスポーツとかはメンツを選ぶか避けるべき。
足を引っ張っている感覚が少しでもあると自己肯定感が下がるため。これはマジで注意。


こっから先は自己肯定感を高めるってよりはメンヘラを回避したり脱却する方法。

3. 日光を浴びる

長期休業とかで引きこもってる奴にありがちなんだけど、家から出ない日が続いてしばらく日光浴びてないと勝手にヘラります。要注意。 これに関しては多くを語る必要もなく、買い物でも散歩でもバイトでも何でもいいから家から出て日光浴びてこい。可能なら知り合いと会ってどうでもいいような話をするのがいい。 夏休みでヘラってた俺が回復したの、大学再開して家から出て知り合いと会ったりしたおかげだもん。

日光を浴びるのがいいってのは科学的にも言われてることらしいけど、詳細はググってくれ。

4. 人と話す

今さっき述べた通り。どうでもいい話をしろ。
たぶんテキストメッセージは良くない。実際に人と話すこと。 通話がどうかはあまり通話しない人間なので分からない。

ちなみに、どうでもいい話をするのが大事なのであって、仕事や課題のような話はしない方がいい。楽しくやってることならいいけど、やらされてる感があったりするものの話は避けること。愚痴るならたぶん大丈夫だけど。

5. 嫌なことを投げ出す

仕事や課題の話をしないってのはここに帰着する。
やりたくないならやめちまえって話。


ここからは実行したことないけどふと思いついたのでこんなんどうですかっていう提案

6.成長日記をつける

日記って書くのめんどくさいじゃないですか。だから実行したことないんだけど、まぁまぁ自己肯定感高められそうな気がしたのでメモしておきます。効果は保証しません。
1日の終わりにその日を振り返って、その日できるようになったことや成長したことを箇条書きで書き出す日記を毎日つける。書き出す内容は肯定的ならなんでもOKで、例えばシャドバで10連勝できたとか、○○ケアのプレイングを知ったとかその程度でいい。昨日の自分より今日の自分が優れていると実感できることを書き出しそれを積み重ねていくことで、自己肯定感を高められるのではという考え。
似た手法にその日の朝に目標を立てるタイプもありそうだけど、達成できなかったら悲しくなりそうなのでお勧めしない。

またなんか思いついたら追記するかもだけど、今回はこの辺で。

「好き」の表現

※恋愛の話ではないです。彼女は募集してます。

明けましておめでとうございます。この記事ダラダラ書いてたら年跨いでました(早く書けアホ)。
ブログ、書き始めたらそのまま勢いで書き切らないといつまでも書かないね...。
気分で書いてるのでそのうち更新しなくなるかもしれないけど、まったりやっていくんでよろしくお願いします。


気が付くと、眠れない夜なんかに

「『好き』という言葉、あまりにも難しくね?」

とか考えている。いまいちこの言葉の本質が分からない。しかし、好きなものを好きと言えない世の中は辛いと思うので、「好き」という言葉はどういうものなのか考えたいと思う。

とりあえず、web検索でそれっぽい辞書(デジタル大辞泉)を引いてみる。

すき【好き】 の解説
[名・形動]

 心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。「好きな人」「好きな道に進む」⇔嫌い。

 片寄ってそのことを好むさま。物好き。また、特に、好色。色好み。「幹事を買って出るなんて、君も好きだねえ」「好き者」

 自分の思うままに振る舞うこと。また、そのさま。「好きなだけ遊ぶ」「どうとも好きにしなさい」

今回話題にしたいのは、もっぱらの意味である。

ここで注目したいのが、対義語に「嫌い」が存在している点である。

過去の自分は
「好きか嫌いかしかねぇんだから、対象に『好き』『嫌い』のラベリングをしてその結果を報告するのが『好き』とか『嫌い』という言葉」
だと考えていた。突き詰めれば世の中のもの全てを「好き」か「嫌い」のカテゴリに分類できると信じていたのだ。

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しかし、この理論は欠陥を抱えている。「好きでも嫌いでもない」という分類が存在しないからである。もちろん、無理やりにどちらかに分類することは可能だが、それでは「好き」や「嫌い」の中にも程度のばらつきが出てくる。「限りなく好きに近い嫌い」とか言い出すと終わりがないので、この好き嫌いの程度を上手く表現する必要がある。

そこで考えたのが、「好き嫌いパラメータ」である。
「好き」「嫌い」の程度を実数で表すというもので、(値はなんでもいいのだが)例えば10と-10だったり100と-100なんかにそれぞれ「好き」と「嫌い」の基準値を設ける。すると、「好きでも嫌いでもないもの」は0を取り、曖昧さなく好き嫌いを表現出来る。

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しかしながら、実はこれも不十分である場面がある。それは、好き嫌いの評価対象が多面性を持つ場合である。「この側面は好きだが、あの側面は嫌い」等のように側面ごとに好き嫌いが異なる場合、先の"好き嫌いパラメータ"による1次元的評価では不十分である。
この多面性の例には次のようなものがある。例えば卵について「卵料理は大好きだが生っぽいのは食べられない」場合、この情報を余すことなく好き嫌いパラメータのみで表現出来ない。

この問題を解決するには、各側面に対して別個"好き嫌いパラメータ"を設定し「好き嫌いベクトル」として表現する手法が考えられる。

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”好き嫌いベクトル”を用いる際、ベクトルのどの要素がどの側面の"好き嫌いパラメータ"に対応しているかを明示しなければならず、ぱっと見で意味合いが分かりにくい。加えて、対象の全ての側面を網羅できている保証もない。卵の例で言えば、目玉焼きと卵焼きとゆで卵を評価していてもスクランブルエッグを評価し忘れているとかそういう感じ。

ここまで考えてふと思った。

「こんなんじゃ好きも嫌いも伝わらねぇよ!!」

と。
難解で情報量が多く、何を一番伝えたいのかが分からない。
まるでこのブログのようだ。好き嫌いベクトルなどは迷走の果てのアイデアである。

「人間同士の情報伝達における情報の劣化」というのを考えることがあるのだが(これは別に短めの記事かなんかにするかもしれない)、結局のところ自分が感じていることを100%そのまま他人に伝えることは土台無理な話なのである。
であれば、好き嫌いを語りつくそうとするのに長々と言葉を連ねたり、"ベクトル"とかいう大仰なものを持ち出すよりも、むしろ「好き」か「嫌い」で語ってる方が賢いのではないか?

もちろんそんなの場面に依存するのだが、好きなものに「好き」というラベルを貼るかの如く「好き」という言葉を使うのは悪くないように思う。必要に迫られたら、後からその好き嫌いの程度を補足説明すればいい。不要な場面でわざわざどのくらい好きとか語らなくていいし、多面性とか認識しなくていいし。よっぽど安上がりでありながら、伝えたい核心はしっかりと伝えられている。難しいこと考えなくていいし、その方が生きてく上で楽だし。

紆余曲折したのに結局「好き」という言葉ムズいまんまだけど、好きなものは好きって言っていいという答えは得た。
そんなわけで、好きなものは好きって言って生きて行こうかなと思う。
アニメは好きだし、ゲームも好き。こういうちょっとしたこと考えるのも好きだし、Youtube見るのも好き。音楽聞くのも好きだし、漫画読むのも好き。ゲーム実況見るのも好きだし、雑談放送でワイワイするのも好き。勉強も好きだし、スポーツも好き。程度に差はあるけれども。


あと、今回恋愛の話じゃないから考慮してないけど、愛の告白するときにラベリングする感覚で「好き」って言っても何も伝わらなさそうだし、そういう観点における「好き」の表現もまた別で考えたい気もする。ブログ記事冒頭で彼女募集してるうちはそんなことを語っても微塵も説得力がないわけだが。

漫画原作の作品をアニメ化するにあたって

記事のタイトルを見た瞬間
「あ、こいつ原作厨やんけ」
と思った人には悪いが、自分はむしろアニオタに分類されるタイプである。
小さい頃はたいして漫画本を買わず、夕方になるとテレビの前に張り付いてアニメを見ていたくらいだ。
この記事は「漫画とアニメの差異から”アニメならでは”の良さであったり”アニメらしさ”について考える」ことが目的である。

このようなことを考えた理由の根底にあるのはこの音とまれ!という作品との出会いである。この作品についてだけで記事1つ書けるがそれはまた別の機会にすることとしよう。とにかく「この音とまれ!」を見ろ!1話だけでいいから


わき道にそれるのはこれくらいにして、漫画とアニメの差異について考えていく。
以下では便宜上、漫画ならではな点赤文字アニメならではな点青文字で表記したいお気持ちで書いた(ちゃんと色分けされているとは言っていない)。


1.視覚情報
漫画はコマごとによる離散時間表現であるのに対し、アニメは映像による連続時間表現が可能である。語るまでもないが、完成された映像の持つ迫力や美しさというのは漫画にはないアニメの長所の1つだろう。しかし、これは諸刃の剣である。完成されきったものならいいが、近年多くみられる作画崩壊などは目も当てられない(と言っても漫画にも誤植や塗り忘れの類はあるが)。
一方で、漫画のコマ割りであったり遡りやすさはアニメより優れていると考えている。見開きページで描かれる迫力シーンやここぞというシーンへの書き込み具合は映像に引けを取らないだろう。つまるところ、視覚情報はどちらにもそれぞれの良さがあるので優劣はつけがたい。
しかし、差別化はできるわけで、映像ならではの表現(例えば川の水のように流れのあるものとか、戦闘ものやスポーツものの視点移動)が活用されている作品はアニメらしい要素を持っていると考えている。


2.聴覚情報
これは漫画とアニメの差別化を図るうえで外せない最も重要な要素だと考えている。この記事を書いた理由の9割くらいはこれに尽きる。マンガが紙媒体であるがゆえに、そこに伴うのは視覚情報に限られる(紙の質感やにおい、本の重量感などもあるので厳密に言い切るのは諸説ありそうだが)。だからこそ、その紙面には研鑽されたあらゆる技巧がちりばめられているわけだが、アニメは違う。映像だけでなくそこにはを伴っている。聴覚情報を駆使できるのだ。アニメで使われる聴覚情報をザックリまとめると次のようなものがある。
・キャラの声
・OP・ED
・BGM・挿入歌
・劇中歌

それぞれ順に見ていこう。


2.1 キャラの声
アニメを見る時は声優で決めるという人もいるだろう。漫画のキャラに命を吹き込むがごとく、キャラ1人1人に声が充てられる。声質がそのままキャラのイメージに反映されることから、声が違うだけでキャラや作品のイメージが大きく変わってくるため非常に重要である。一方で原作ファンからすると声がイメージと違ったということは日常茶飯事だろう。声豚ではない自分が長々語るとボコボコにされそうなのでこれくらいにしておく。


2.2 OP・ED
そのアニメ作品の顔となる部分。主題歌の持つ効果はその1分半ほどの長さに対し大きく、OP,EDともに重要な役割を持っている。
OPはアニメの本筋に入って行く前の導入にあたり、ここでアニメの世界観や雰囲気に心や頭を切り替えるといった効果を持つと考えている。視聴者は直前まで別のアニメや番組を見ていたかもしれないし、他の作業をしていたかもしれない。そんな状態から作品を見る心構えへと切り替えるような役割を果たしている。
録画などで飛ばされがちなEDに関してもしっかりと役割がある。それは余韻だ。特にこれは一気見で軽視されがちな要素だが、アニメリアタイ勢から言わせれば「今週も良かったなぁ」と噛み締められる余韻は重要で、そのためにED~次回予告の尺があると言っても過言ではない。これは持論だがアニメやってる間はOP・EDとCMを除いてツイートとかすべきじゃなくて見ることに集中すべき、全てを見終えて感想が沸き上がってくるのがED、そしてやっとTwitter等にアウトプットするべき。

今期のアニメだと僕のヒーローアカデミア4期」のOPポラリス(BLUE ENCOUNT)」は導入として最高だと感じている。OP映像も合わせて見ると、アニメ本編とのつながりとしてあの子を「守る」という歌詞なのがいい。OPだけで泣ける。
EDでは少し前になるが文豪ストレイドッグス3期」「Lily(ラックライフ)」なんかは映像も相まって泣ける仕上がりだった。今期では炎炎ノ消防隊「脳内(Lenny code fiction)」が個人的にはかなり余韻に浸れる。
逆に選曲ミスると最悪で、シリアスな展開もあるダイヤのAシリーズのEDで度々ポップな曲が使われて悲しくなっている。今期がまさにそれで泣いてる。

Yougubeでアニソンメドレーなんかをよく聞く身としては、「アニソンメドレーでやたら使われるこの曲が気になってアニメ見ました!」みたいな作品がまぁまぁあるので、作品の顔としての効果も十分あると言える(「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」「secret base ~君がくれたもの~(本間芽衣子安城鳴子鶴見知利子)」なんかは筆頭だろう)。
作品を代表するという意味では、アニメの最終回などによくある「最初期のOPを挿入歌やED曲として用いる手法」は激熱。EDとして余韻に浸る効果を併せ持ち、最終回ならその作品全体を振り返るフェーズが訪れる。


2.3 BGM・挿入歌
OP・EDに目が行きがちだが、BGM挿入歌(ここではBGMの中でも歌声付きのものを挿入歌としている)の持つ効果も大きい。正直、自分がBGM等を重視するオタクじゃないので語れるものが少ないが、熱いシーンに盛り上がるBGMがあるだけで盛り上がり方が全然違うはずだし、縁の下の力持ち的役割を担うことが多いと勝手に思ってる
ここで例として触れておきたいのは、Re:ゼロから始める異世界生活において伝説の回と言われる18話「Wishing(水瀬いのり)」である。以下今更ではあるがリゼロの軽いネタバレを含む。18話では、度重なる死に戻りを経てボロボロになり心が擦り切れたスバルが全てを投げ出してレムと逃げることを選択するのだが、レムはスバルの全てを受け入れた上でスバルの考えを否定し真に進むべき道を提示する、涙なしには見られない感動の展開。そのバックで流れるのが、レムの声優「水瀬いのり」による「Wishing」なのだ。心が疲れたらリゼロ18話を見るのをお勧めする。


2.4 劇中歌
この記事で言う劇中歌とは、作品内で(メタ的にではなく)登場している楽曲を指す。キャラが歌ったり、弾いたり等。例を挙げるなら涼宮ハルヒの憂鬱God knows...(平野綾)」けいおん!ふわふわ時間(桜高軽音部)」などである。
音楽を題材としない作品では、劇中歌はなくても成立する。上記3つの聴覚情報とは違い、必須ではない。しかし、それゆえか「アニメならでは」という観点においては劇中歌の持つ効果は大きい。漫画において、音を完璧に伝えることは他の媒体を介さなければ不可能である。しかし、アニメなら音を直接視聴者の耳に届けることができるのである。
音楽に精通していないので音の効果を十分に語ることができないのが心苦しいが、この音とまれ!における音は演奏ミスや下手さだけでなく、うまい演奏の音の深さやハリ、やわらかさなどをしっかりと表現しており、単なる視覚情報だけにとどまらず五感を通して視聴者に情報を伝えてくる。それゆえ、この作品の評価が爆上がりしている。アニメだから伝えることができること、それがもろに伝わってくるのが劇中歌なのではないか。
ネタバレになるが、先日のDr.STONEの最終24話における劇中歌は、そもそもの作品が音楽を題材としていないため不意を突かれるような形ではあったが、すでに神アニメだったものが更なる高みへ上るような感覚を覚えた。この作品もなかなかの良作なので見ていない人にはぜひ見てもらいたい。


以上が聴覚情報の4つである。
五感のうちの2つ、視覚と聴覚について触れたが、嗅覚・味覚・触覚はアニメや漫画では使用していないはずなので割愛する。後半の聴覚情報がアニメ固有のため色分けが意味をなさなくなってしまった...

以上をまとめると、アニメらしさは音に起因するように思う。映像もそうだが、漫画をアニメ化する意義の大きなところにあるのはむしろ音であり、キャラが動いたり喋ったりするだけでなく、漫画を読むときの想像だけでは補えない劇中歌であったり作品を代表する主題歌がしっかりしていて初めてその作品は"アニメ作品として"成立するのではないだろうか。

考えるということ

"人間は考える葦である"

別にこのパスカルの有名な言葉について考察しようというわけではないのだが、「我々を人間たらしめるのは思考だ」と考えている自分はこの言葉に非常に感銘を受けた。

ブログの名前にもあるように、このブログは考えたことを書き留めておくためのブログである。そんなブログの最初を飾る記事であるから、思考にまつわる自分の見解については触れておきたく最初にこの言葉を紹介した。

 

次にこのブログの作成経緯について書き記しておく。

自分は普段から色んなことを考えてはTwitterに投稿したりしていたが、自分の思考を振り返ろうと思った時にTwitterという媒体では遡るのに不便だと感じ、ブログに記事という形で残してみることにした。ブログは記事タイトルであったりカテゴリ分けができるので管理するうえで都合がいいと考えている。また、Twitterとは異なり字数制約がないのもありがたい。思考したことを語りつくすには140文字はあまりにも少なすぎる。

 

そんなこんなでブログを始めたので、現時点ではあくまでTwitterの延長くらいにしか考えていない。そのため、ブログにしては記事1つ1つが短いかもしれないがご容赦いただきたい。

また、最初のうちはTwitter等で既に話題にしたことがあるテーマで記事を書くかもしれないがそれについても理解いただきたい。

 

なんか締めの言葉が欲しいけど特に思いつかなかった...後日編集するかも()